現在のページ:

  • 松原産業の歩み
  • 創業期(創業〜昭和20年代)
  • 発展期(昭和30年代〜)
  • 平成、そして未来へ

発展期(昭和30年代〜)

事業の拡大と拡張

昭和30年代戦後復興も然ることながら第一次産業は成長拡大の一途を辿り、当社もこの時期、関連会社を含め大いなる拡大、多角化を図る。さらに、40年代に入ってからも業拡路線を維持した。

【当社ならびに関連会社の動き】
昭和30年8月 本社を東京から栗山町へと移す 事業の拡大と拡張写真
昭和31年4月 東邦製袋(株)設立
昭和31年12月 栗山建材販売所開設
昭和33年4月 札幌販売所開設
昭和34年6月 (株)栗山自動車教習所設立
昭和35年2月 札幌床板工場新設にて操業開始
昭和35年8月 北海道林産興業(株)設立
※昭和45年に工場閉鎖、昭和48年には松原産業(株)が吸収
昭和36年 北海道倉庫(株)設立
昭和38年10月 上芦別工場新設にて操業開始
昭和38年11月 北林加工(株)設立
※昭和44年に松原産業(株)が経営権を引き継ぐ
昭和39年5月 栗山自動車整備(株)設立
※昭和49年に経営不振により松原産業(株)が株式の99.9%を取得
昭和39年11月 継立工場を合板工場として操業開始。また同月に本社社屋を新築
昭和47年6月 松原運輸(株)設立
※松原産業(株)が全額出資
昭和48年5月 (株)ホクリン設立

このように事業の拡大と拡張を進める中、昭和45年(1970)7月9日闘病生活を送りながらも社長として陣頭指揮を執ってきた武吉が死去。これにより次男東一朗が代表取締役社長に就任する。

合理化の波

合理化の波写真

昭和52年(1977)、創業者である初代会長外次朗が死去。ひとつの時代が終わりを告げ転換期にさしかかる。
当社は生産工場部門の統合集約を目的として、昭和54年(1979)に新栗山工場の建設に着手。さらに56年には新木場に東京支店を新築するなど、合理化を推し進めていった。

バブル経済での成長

バブル経済での成長写真

昭和60年代に入り、日本の経済は輸出型経済から内需型経済へと移行した。
この内需型経済は好況を招き、昭和61年(1986)の冬から平成3年(1991)の夏まで5年間続く。住宅着工戸数も昭和62年度から4年連続で160万戸台をキープ、当社も平成2年度に初の100億円企業となった。
これは技術の研鑽、経営の合理化、そして常に業界のパイオニアたる決意で実績を積み重ねてきた結果といえる。

平成4年(1992)6月、地球環境開発会議(地球サミット)は「地球はひとつ」という崇高な理念に基づいた会議であった。
豊かな社会づくりへの貢献をモットーに、限りある森林資源を大切にし、その資源の再生と有効利用を半世紀にわたり行ってきた当社にとっても、たいへん意義深い会議であった。同時に、これからの企業の在り方を模索する上で、こうした問題に対し、ひとつの企業としてどうアプローチするかが大きなテーマであることを再認識した。